
NY滞在レポート♯3:青木竜太
2025年秋、10年ぶりにニューヨークを訪れたWAN1期生の青木竜太さんによるレポートです。社会彫刻家の青木さんは、ニューヨークを野性的な生態系として捉えます。知覚と身体を揺さぶる都市のなかで、対話を重ねた人数はなんと133人超。入国審査での洗礼からトイレ事情、都市の積み重ねて歴史まで、59日間の体験をアーティストの眼差しでつづります。
壊れた街で立つ —— ニューヨーク59日間
第1部:最初の30秒

滞在の初めの頃、地下鉄で突然蹴られた。59日間の最後の週には、133人目の人間と握手を交わしていた。この二つの出来事の間に横たわるものが、ニューヨークという街だった。
10月19日、10年ぶりにJFK空港に降り立った。
入国審査の列は長かった。前に並んでいる人たちの背中を眺めながら、少しずつ前に進む。自分の番が来ると、若い女性の係官がパスポートを受け取り、矢継ぎ早に質問を始めた。どこに泊まるのか。何をしに来たのか。どのくらいいるのか。少し探るような目つきだった。「Instagramを見せてくれ」と言われた。一瞬、身構えたが、画面をスクロールしながら見せて、「プロフィール写真、ちょっと若く写ってるかもしれないけどね」と言ってみた。彼女が笑った。手を振って、行っていいと。それだけだった。あっけないほどに。
日本の入国審査なら、冗談を言おうが言うまいが、同じ手続きが同じ時間をかけて同じように進む。ここでは、目の前のたった一人の気分で、すべてが変わる。最初の30秒で、この国の原理を突きつけられた気がした。
月78万円の部屋
Uber で滞在先まで向かった。窓の外を流れる景色は、記憶の中のニューヨークと同じようで、どこか違っていた。10年という時間が、街を変えたのか、自分を変えたのか。おそらくその両方だった。
滞在先はアッパーイーストサイド、60丁目1番街にある。富裕層エリアの近くで、治安の良いところだ。ドアを開けたときの第一印象は、正直に言えば「思ったよりもシャビーだな」だった。小さな窓が2つあるだけで基本的に部屋は暗い。でも部屋は広い。住めそうだなと思った。荷物を置いて、少し模様替えをして、自分の空間をつくり始めた。

ひとつだけ、どうにもならないことがあった。バスタブの排水溝に金属の網が固定されていて、お湯を溜められない。59日間、一度も湯船に浸かれなかった。たったそれだけのことが、地味に、確実に効いてくる。
夜中に目が覚める。ヒーターの爆音だった。スチームヒーターという19世紀の遺産が、この街ではまだ現役で動いている。配管を通る蒸気の音が壁を伝って、部屋全体を震わせる。暗闇の中で天井を見つめながら、自分がどこにいるのか思い出すのに数秒かかった。家賃は2ヶ月で10,000ドル、日本円で約156万円。月に約78万円。こんな部屋に、それだけ払っている。しかもここからダウンタウンやブルックリンまで、遅延を入れればなんだかんだと40分はかかる。ギャラリーもスタジオ訪問も、文化的な活動はほとんどマンハッタンの下の方に集中している。毎日が通勤だった。
トイレが通貨になる街
翌日も時差ぼけで2時に目が覚めた。眠れないまま仕事をして、セントラル・パークまで走ってみようと思い、7時前に外へ出た。60丁目を西に向かっているつもりだった。しばらく走ってから気づく。おかしい。セントラル・パークがない。GPSを確認すると、ファーストアベニューを北に向かっていた。マンハッタンは碁盤の目だから迷うはずがないと思っていた。でも身体の方位感覚と地図が噛み合わない。東京では起きないことだ。東京では自分の身体が道を知っている。ここでは、身体が街を知らない。GPSに頼るしかないのに、そのGPSが狂う。地下鉄に乗れば電波は完全に圏外になる。メッセージも地図も使えない。地上に出るまで、外界から切り離される。

ニューヨークにはトイレがない。
これは比喩ではない。公衆トイレはほぼ存在しない。カフェのトイレに入ろうとしても、ドアにコードがかかっている。コードは店員に聞かないと教えてもらえない。東京にもたまにあるが、ここではすべてだ。最初の数日間は、外出するたびにトイレの場所を気にして行動していた。やがて、NY在住者たちがエリアごとに「良いトイレ」の情報を共有していることを知った。どのビルのロビーなら入れるか、どのホテルのトイレが使えるか。その情報は有力情報として感謝され、ときに何かのお返しの代わりにすらなった。情報が、ある種の通貨になっている街。
ラーメンは一杯30ドル。約4800円。ホテルのロビーで朝のミーティングをした日、ちょっとしたプレートとコーヒーだけで二人分108ドル、約1万7千円だった。東京なら同じ金額で何倍もうまいものが食える。
最初のころは、こんな感じで違いを吸収し慣れることだった。
蹴られる
ある日、地下鉄の構内を歩いていたら蹴られた。
向こうから来た男に、突然蹴られた。私より背が低い、30代中盤くらいか。身なりが特別に汚いわけではないが、持っている荷物からどことなくホームレスの気配がした。無意識でローキック気味の蹴りをカットできた。趣味レベルでも格闘技をやっているとよいことがあるものだ。痛みはない。「なぜ蹴る?」と理由を聞いたら、返ってきた言葉はこうだった。
「Because I can do it.」
あまりにも哲学すぎるだろう。。男はそのまま去っていった。
別の日。バスに乗っていた。前の席に座っていた男が、日本のアニメのぬいぐるみをバッグにぶら下げていた。少しいかつい顔をしているが、アニメが好きなのだろう。微笑ましいな、と思った瞬間、彼が吊り革に手を伸ばした。ポケットから、とんでもなく太い柄のナイフが覗いた。ぬいぐるみと、殺傷能力のあるナイフが、同じ人間の身体にぶら下がっている。このアンバランスが、かえって恐怖を掻き立てる。作り物ではないリアリティがそこにあった。
地下鉄のホームでは縁に立つなとも言われた。後ろから押されることがあるという。路上で排泄をしているホームレスを見た。立ったまま。
少し前に、アジア人女性が路上で殴られる事件がニューヨークで相次いだらしい。今でも街を歩くときに恐怖を感じるという女性も少なくないという。ある在住者が教えてくれたのは、通報内容がリアルタイムで地図上に表示されるアプリの存在だった。最初はみんなインストールしたという。しかし、使ってみると、数ブロック先で発砲があったことや、すぐ近くで事件が起きていたことがわかってしまう。それが頻繁に。知れば知るほど怖くなる。結局、多くの人がアンインストールしたそうだ。知らない方が歩ける。この街では、スルー力が一種の精神的な防御になる。
大きな事件には遭わなかった。59日間、無事に過ごした。でも、身体のどこかが常に緊張していた——こういう時こそ湯船なのだが——。東京にいるときの、あの何も考えなくていい安心感。根本的に違う時間が、ニューヨークでは流れている。常に、暴力が隣り合わせにある。
身体で知るしかない
ニューヨークは資本主義が結晶化した街だ。その結果、簡単には這い上がることができないほどの格差が、現実に存在する。華やかなメガギャラリーで富裕層たちがパーティーをしている数ブロック先にそれなりの数のホームレスたちがいる。この落差は、映像や文章では伝わらない。身体で知るしかない。世界の主要な都市ではよくある景色だが、東京は比較的まだ良い方だろう。地下鉄の車内で、小学生ぐらいの子どもがお菓子などを売り歩き、誰も購入せず、時折ドアに寄りかかって悲しそうに外の景色を眺めている——東京ではまだ、そんな光景は日常にはない。今後はわからないが。
第2部:壊れているから動いている

NYの街並みは美しい。
100年以上前の建築がそのまま残っている。ブラウンストーンの並ぶ住宅街、鋳鉄製のファサードが連なるソーホーの通り、アール・デコの高層ビル。それらは博物館の中にあるのではなく、人が住み、働き、食事をする日常の空間として、今もそこにある。朝のジョギング中に気づいたのは、建物は古いけれど、そのぶん街全体に時間の重みと風格があるということだった。10年前にも感じたはずのものを、また新しく感じている。
都市としての歴史は、東京もニューヨークも同じぐらいで、東京の方が100年ぐらい古いぐらいだ。しかし東京の景観に歴史的な重みはない。東京大空襲に加えて地震大国という理由もあるのだろうが、それをスケープゴートに過剰な商業主義が街をショッピングセンター化していく。または駐車場かオフィスか。文化的に価値があろうとも古い建物を壊し、西洋のどこかの街を劣化コピーしたようなエリアを作り、家賃をあげて、また思いついたように壊す。更新のサイクルが速く家賃も高すぎて、新たな現代文化の芽が育つ時間も空間もない。

ニューヨークの方が、歴史に対してはるかに敏感に思える。何が価値なのかを知っている。あるいは、残すことが価値を生むことを経験的に理解している。人間には認知の限界がある。見たものに相当影響される。100年以上前の建物が日常的に目に入る都市と、築20年〜30年の雑居ビルや真新しい高層ビルと広告しか視界に入らない都市では、時間に対する思考の拡がりも変わるだろう。歴史を見ることができる街にいると、自然に歴史的な思考ができるようになる。
ただ、この街が整然としているわけではない。
信号を誰も守らない。車が来なければ渡る。来ても渡る人がいる。地下鉄の車内で突然、声を張り上げて身の上話を語り始める。街中どこも工事中で、ある日突然ビルの前に単管が立ち、窓から作品を搬出できなくなったという。昨日まで何もなかった場所に、一夜にして足場が組まれている。この街では、昨日と今日が同じであることの方が珍しい。
街を歩いていると、ふと独特の甘く強い香りが鼻をつくことがよくある。角を曲がると、工事現場のそばで作業員たちが休憩がてら煙をくゆらせている。外国人が日本に来ると醤油の香りがすると言う。それと同じように、ニューヨークにはニューヨークの匂いがある。好むと好まざるとにかかわらず、街の空気に溶け込んでいる。
この都市は回っている。壊れているのに、動いている。むしろ東京より「動いている」という感覚すらある。
地層としてのコロナ

ニューヨークに住んでいる人たちと話すと、驚くほど頻繁にコロナの話が出る。日本ではもう過去の出来事になっている。「あの時期は大変だったね」で終わる話題だ。でもここでは違う。物価が上がった理由も、働き方が変わった理由も、人の流れが変わった理由も、すべてがコロナを起点に語られる。
日本にとってのコロナが「あの時期」であるなら、ニューヨークにとってのコロナは「地層」だ。街の構造そのものに組み込まれてしまった変化であり、もう元には戻らないものとして受け入れられている。地表からは見えないが、すべての地面の下にその層がある。歴史を保存し、堆積させていく街だからこそ、コロナもまた「更新」されるのではなく「地層」として残ったのだろう。
歩いていると、歩道の鉄板が突然開くことがある。そこからコンビニやレストランの荷物が地下に運び入れられていく。足元に倉庫がある。日本では見たことのない光景だった。マンホールからは蒸気が噴き出し、建物の中では100年前のスチームヒーターが唸りを上げている。19世紀のインフラが、そのまま現役で動いている。
その上に、Uber、DoorDash、Citibikeが走っている。壊れた物理層の上に、デジタルのレイヤーが被さっている。この街は「更新」ではなく「堆積」で動いている。古いものを壊さない。その上に新しいものを乗せる。100年前の蒸気管の上にスマートフォンのアプリが走る。それがニューヨークの構造だ。
Instagramのストーリーズのハイライトに、NY滞在の様子を写真日記的にアップしているので、ご興味ある方はそちらも参照されたい。
倒木の上の苔
ある時、気づいた。「壊れているのに動いている」のではない。「壊れているから動いている」のだ。
完璧なインフラは、人を受動的にする。信号が青になるのを待ち、時刻表通りの電車に乗り、清潔なトイレを使い、正確なGPSに従って歩く。すべてが設計通りに動く環境では、人は設計に身を委ねればいい。判断しなくていい。考えなくていい。
壊れたインフラは、人に能動性を要求する。トイレがなければ自分で探す。GPSが狂えば自分で歩く。信号が機能しなければ自分で判断する。通報アプリが怖ければ自分でアンインストールする。この街では、すべてを自分で決めなければならない。
堆積した地層の上で生きるということは、自然の生態系の中で生きることに近い。自然の森は、古い木を伐らない。倒れた木の上に苔が生え、菌糸が走り、新しい生命が育つ。朽ちたものが次の生命の土台になる。ニューヨークはそういう都市だ。19世紀のインフラという倒木の上に、21世紀のテクノロジーという苔が生えている。東京は違う。東京は定期的に伐採され、整地され、植え替えられる。管理された森——つまり、温室だ。
都市空間とは、人間にとっての新しい生態系だ。自然の中で進化してきた人間が、自ら作り出した人工環境の中で暮らしている。その生態系の中で、人間が持つ「生き残る」という根源的な野性——危険を察知し、判断し、行動する力——を、現代の都市で維持できるのは、ニューヨークなのかもしれない。

美術家・建築家の荒川修作は、1961年に渡米し、亡くなるまで約50年間ニューヨークを拠点にした。彼が「天命反転」のコンセプトに至ったのは、この街にいると納得がいく。死すら反転させようとする思想。人間の知覚と身体を建築によって揺さぶり、生を能動的なものに変えようとする試み。それは、堆積する生態系の中で生き延びる野性から生まれたものではなかったか。
温室の外へ
東京はある意味、純粋培養された温室のような環境だ。誰かに管理され、最適化され、逸脱を許さない。信号を無視すれば白い目で見られ、電車が2分遅れれば謝罪のアナウンスが流れる。すべてが正しく動く。すべてが予測可能である。東京はインフラ面において最高の都市だ。そのことに嘘はない。でも、完璧に管理された環境が人間から奪うものがある。自分で判断する力。自分で危険を察知する力。自分で立つ力。温室の中では、それらは必要とされない。
何をしていても咎められない。抑えつけられない。ニューヨークにいる間、ずっとそう感じていた。もしかすると自分は、温室より森の方が性に合っているのかもしれない。
第3部:133人
日本人アーティストが、今からニューヨークで生きることは、構造的に困難だ。
物価が高い。しかし日本の仕事の報酬は安い。仮に東京で月収60万円の仕事をしていても、東京と同じクオリティの暮らしをニューヨークでおくるにはまったく足りない。体感2〜3倍ぐらい差がある気がする。かといって、アメリカの仕事に就くのは簡単ではない。メディアアーティストやクリエイティブテクノロジストであれば、テック系の企業やスタジオで働く道はある。しかしAIが急速にその領域を置き換えつつあり、似たようなスキルセットを持つ人間は唸るほどいる。ただし物理的なものを扱うようなアート作品などにはまだニーズはあるとは思う。スタジオ系は人脈が効くが、まず会うにしても現地に来る必要がある。渡航費と滞在費だけでもそれなりの金額だ。ニューヨークでは食費もかさむ。
渡米前は、ニューヨークは、メディアアートがもっと盛んだと思っていた。実際は違った。ニューヨークのメディアアートは、欧州のような人文系や社会との接続が、今はあまり感じられないし、漂っているのは資本主義の香りだ。ここまで物価が高ければ仕方ない。食べていかなければならない。大学以外では、作品はどうしてもアートマーケットを意識したものか、クリエイティブテクノロジストによる作品が多いように思える。ただ、アート&サイエンスの動きも多少ある。今回はあまり掘れなかったが、バイオアートが中心のようだ。
NY在住者に話を聞いても、人によって言うことがかなり違う。長く住んでいる人でもそうだ。見ている分野が違い、属しているコミュニティが違い、人種によっても見える景色がまったく変わる。それだけこの街は広く、多様だ。
その中で、日本人の存在感は特に薄い。まとまっておらず、各業界にぽつぽつと散らばっている。大学ではとりわけ顕著で、学年に日本人が一人いれば良い方だ。大学はこれからますますコミュニティ形成の場になる。そこに日本人が少ないということは、世界の主要なネットワークからさらに遠ざかることを意味する。日本人とわかると、レアポケモンのように珍しがられた。
それでも、この街に立っている日本人アーティストたちがいる。10、20年以上と長期間ニューヨークで制作を続けている人たちに会った。小さなスタジオで毎日制作している。コロナを経てもなお、この街にいる。各自が独立して立っている。一人ひとりが自分の実践を持ち、自分のネットワークを持ち、自分の判断で動いている。その覚悟の重さを、私含め日本から来たばかりの人間が簡単に測ることはできない。
紹介の連鎖

帰国後、レポートのために誰と会ったのかを整理してみたら、59日間で133人以上と対面で会っていた。パーティーでの立ち話ではなく、席について1時間以上、中には半日や終日を共に過ごした。美術館のキュレーター、ギャラリーの創設者、大学の研究者、アーティストやクリエイターたち。アメリカ人だけではない。韓国、台湾、ヨーロッパ、南米。国籍も分野も超えて、美術館で、ギャラリーで、大学で、スタジオで、レストラン、カフェやバーで。
気づいたのは、「紹介の連鎖」という構造だった。一人と会うと、その人が別の人を紹介してくれる。その人がまた別の人を紹介する。国籍も分野も超えて、ネットワークが指数関数的に広がっていく。壊れたインフラの上に、途方もない密度の多国籍な人的ネットワークが張り巡らされている。一歩を踏み出せば、この街の人的ネットワークの密度が、想像を超えた速度で道を広げてくれる。
ただし、連鎖の前には共感がいる。アーティストであれば、作品を見せればいい。ポートフォリオを開いた瞬間に目の色が変わる。面白いと思えば、その場で次の人を紹介してくれる。これはある意味、アーティストが持つ特徴かもしれない。自由に繋がれる。
帰国後も関係は続いている。今年の1月末の個展では、ニューヨークで出会った人たちが開催前にも多くシェアしてくれた。たまたま日本に来ていた人がふらりと会場に顔を出してくれた。今でも定期的にオンラインでやりとりが続いている。個展の映像を共有すると称賛のメッセージをくれた。59日間で生まれたつながりは、一過性のものではない。
1月29日〜2月1日まで表参道スパイラルで開催した個展の様子。
私がWANプログラムの第1期生としてニューヨークに来た目的は、プラットフォーム構築のリサーチと協力者との出会いだった。この都市には、共通する文化的基盤がない。言語も、宗教も、食文化も、価値観も、人によって全く異なる。だからこそ、人をつなぐための理念と仕組み——プラットフォームが必要になる。接続するための仕組みがなければ、隣にいても他人のままだ。世界を席巻するプラットフォームがこの国で生まれた理由が、ここにあるのかもしれない。
WANプログラムや関係者には心から感謝している。第一期の、それも初期の渡航組であったこと、それに加えて、提携先のNew Museum「NEW INC」のリニューアルが遅れたことも重なり、いわゆるアーティスト・イン・レジデンスやフェローシップにあるような受け入れ体制は、当時はまだ整備されていなかった。後発組には発表支援や施設ツアーなど比較的手厚いサポートが用意されていたようだ。羨ましい。しかし、その空白を埋めてくれたのは、関係者によるサポートだった。アドバイザーのエキソニモのお二人は常にこちらを気にかけてくれ、第三期から新しくアドバイザーに就任したPowerhouse Arts の塩野入さんを繋いでくれたり、別のアドバイザーのYeseul Songさんは、NYUのオープンラボのようなイベントに招いてくれたりした。また、コーディネーターの藤高 晃右さんは”The Home Party” と呼ぶにふさわしい親密な地元の集まりに誘ってくれ、もう1人のコーディネーターであり、アーティストの濵口京子さんは藝大NYC滞在組の鍋会や卓球大会など企画するなど、いろんな交流の場を作ってくれた。そうした一つひとつの関わりが、NYCという街のなかで、確かな「安心の拠点」を構築してくれたのだと思う。そして何よりもWANが提供する渡航費、滞在費、活動費の支援がなければ、59日間の滞在は実現しなかった。
第4部:窓を開ける
ニューヨークには、現代アートをつくった当事者たちがまだ息づいている。
美術史の教科書や様々なメディアに出てくる名前が、同じ街で制作を続けている。大学で教えている。ギャラリーのオープニングに現れる。誰かの友達だったりする。それは文献の中の歴史ではなく、今もここで呼吸している歴史だ。堆積した都市の地層の最上部に、生きた人間がいる。その密度は、ニューヨークが間違いなく、世界最高峰だろう。

磁力の限界
しかし、その磁力は限界に達しつつある。
世界的な賞を受賞した若手のアーティストが、ニューヨークの物価では生きていけず、自分の国に帰るという。世界的に著名な教授が、現状のアメリカの政治や社会に嫌気が差して、ニューヨークを離れた。一人や二人の話ではない。何人もが、同じことを口にしていた。
数字もそれを裏付けている。Center for an Urban Futureの調査によれば、ニューヨーク市内のアーティスト人口は2019年から2021年の間に4.4%減少し約2,500人がいなくなった。数十年続いた増加トレンドが初めて反転した。かつてアーティストの街だったロウアー・イースト・サイドでは、2013年から2023年の10年間で55%以上、約1,475人が去った。
これは都市開発における、ある種の物理法則だ。アーティストが安い地区に住み着く。街が面白くなる。不動産価値が上がる。家賃が上がる。アーティストが出ていく。市場原理を野放しにすると、文化を生み出した当事者が真っ先に排除される。かつてのソーホーやダンボで起きたことが、今もこの街の至るところで繰り返されている。
現代アートの歴史をつくった人たちがこの街にいる。でも、次の世代がこの街に留まれるかどうかはわからない。まだ磁力は残っている。しかしその磁力を維持するための土壌が、物価と政治と社会の変化によって、急激に削られている。森の土壌が痩せれば、どんな大木もいずれ倒れる。
次はどこか
ニューヨークの磁力が薄れつつあるとして、では次はどこか。ウクライナやイランでの戦争もあり、日本から欧州や北米はかつてより遠くなった。渡航費も滞在費も高騰し、若手の日本人アーティストがサポートなしには簡単に行ける場所ではなくなっている。
少なくとも日本人にとって、東アジア・東南アジアの都市が重要になると思っている。物価や距離が近く、そして文化的な親和性が高い。何よりも安全で活気があり、そしてまだみんな昭和に生まれた現代文化を好きでいてくれている。ただし、ひとつの都市ではない。複数の都市を、時期やイベントに合わせて渡り歩くかたちだ。アジアに住むアーティストやクリエイターの多くは、すでにそういう生き方をしている。ビエンナーレやアートフェア、レジデンシーやカンファレンスを渡り歩きながら、制作と発表とネットワーキングを同時に行う。日本人でそういう動き方をしているアート関係者は、ほとんどいない。
たとえば、香港を起点にすれば、4〜5時間で東アジア・東南アジアの主要都市にはどこにでも行ける。そして実際に、日本以外のアジアはすでにつながっている。ソウルと台北、バンコクと香港、ジャカルタとシンガポール。アーティストやキュレーター、ディレクターが行き来し、情報と信頼のネットワークが国境を越えて走っている。
自分が見た限りでは、日本はそのネットワークの中に十分に入れていない。過去の伝統文化や、20〜30年前のアーティストたちが築いたブランドのおかげで、まだ国際的に良いイメージを保っている。しかし、そのブランドを切り崩しながら食いつないでいる。日本のアート業界のベクトルは欧米志向が圧倒的に強く、そこまでアジアには向いていないように見える。食やファッション、デザインや建築などアート以外の分野の魅力で、クリエイター層が向こうからはまだ頻繁に来てくれるが、その魅力がいつまで続くかはわからない。

AI時代に、人間にしかできないことは人とつながることだ。機械が代替できないものは、信頼のネットワークだ。そのつながりを生み出すきっかけ、文化やイベントを意図的につくり出すことが、都市の生命線になる。日本は、アート分野においてそれを効果的にしかけられていない。もちろん、東京にもそれを変えようとしている人たちはいる。
私が今回の研究テーマとして掲げたアジアにおけるプラットフォーム構築は、まさにそこに向かっている。ゼロサムではなく、新しい土壌を共につくる場。アジアの都市をネットワークでつなぎ、文化的なきっかけを生み出す仕組み。ニューヨークで学んだのは、プラットフォームは完成品として設計するものではなく、つながりが自然発生する土壌をつくることだった。東京から何を発生させられるか。温室の中からでも、窓を開ければ外の空気は入ってくるし、外に出られる。
また壊れた街に立ちに行く
東京は更新される都市だ。ニューヨークは地層になる都市だ。
地下鉄の構内で蹴ってきた男は「Because I can do it」と言った。ある意味で、この街にいるすべての人間がそうなのかもしれない。できるからやる。やりたいからやる。誰の許可も待たない。スタジオで毎日制作を続けるアーティストも、信号を無視して渡る歩行者も、この街を離れる決断をした教授も、アジアの都市を移動しながら制作するクリエイターも。全員が自分の判断で動いている。その自由は危険と隣り合わせだ。でも、管理された温室の中では決して手に入らないものでもある。

東京のインフラに感動した。ニューヨークの不便さを呪い、暴力に身構えた。でも、蒸気とクラクションの中で出会った133人の顔を、東京に戻っても忘れられない。
この滞在を通して、具体的なプロジェクトが動き始めている。5月、またニューヨークへ行く。
(青木竜太 芸術監督 / 社会彫刻家)


